努力の方向性(1)

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努力の方向性(1)

学校や塾で教えてくれることを教えるだけなら、家庭教師の存在価値なんてあまりありません。マンツーマンだからこそ本音で語れる部分もあるし、きめ細かい指導も可能になります。

往々にして学校や塾の授業というのは、いわゆる「キレイゴト」で成り立っています。極端に言えば、生徒に無理難題を押し付けがちです。個人の能力に応じて、持てる力をどう発揮すれば良いのかなんて 誰も教えてはくれません。ただ漫然と「勉強しろ」「理解しろ」「覚えろ」と繰り返すだけです。参考書や問題集の解説にしても、たいがいは後付の理由ばかり書いてあって、実際にどういう視点でどうやっ て(時には泥臭くも)解くのかということまで触れてあるものは稀少です。

でも、ちょっと考えてみてください。

入試問題は普通に「勉強し」「理解し」「覚えた」らキレイに解ける問題ばかりで成り立っているでしょうか。実際はそうでない問題で勝負が分かれているのではないでしょうか。出題する側が、受験生が「勉強していない」したがって「理解していない」「覚えていない」ことを前提に作っている問題がどれほど多いかを、そういう現実を、まず認識しなければなりません。これはトップ校を目指す受験生であっても(というよりはむしろトップ校を目指す受験生こそ)気をつけなければならないことです。「学校の成績はいいんだけど、模試になると…」という生徒は、ここの対策が十分ではありません。

まず、努力の方向性を本音できちんと定めてあげること。そうやって生徒の負担を減らしてあげること。そうすると生徒に意欲が湧き、結果として勉強量は増えます。成績も上がり、さらに意欲も湧き、と全て良い方向に転がっていきます。こうなると、しめたものです。

指導のコンセプトとして僕が中核に据えているのは、だいたいこんなことです。

2012/11/20

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